創業者であり今は亡き川端正一郎は
たった一人で会社を設立して
その時にいつかきっと富士山のような
日本一の会社にすると誓い
富士電子産業を設立した。

若くしてこの世を去り
今は伴侶である川端ひとみ社長が
しっかりとその意志を継ぎ
まさしく富士山のような
日本一の会社へと歩み続けている。

丁寧で素晴らしいハーネス作りを続けること
社員を大切にし続けている信念が
その大きな夢を叶えようとしている。

大阪生まれの大阪商人であった川端正一郎は、
大阪で培った商社の経験を元に、
富士山のような日本一の会社にする熱い想いを胸に、
転勤先の広島で一人会社を設立する決心をした。
設立した会社である事務所のアパートで
電話番のアルバイトだった当時高校生の女子が
将来伴侶となり今の社長である
川端ひとみ社長であった。
始めは商社として電子部品の売買をしていた。

昭和の頃に描いた
ある男の熱い思いが
富士電子産業の始まりだった。


昭和61年 富士電子産業 誕生

そんなある時突然
当時社長であり夫の川端正一郎が
自宅で倒れてこの世を去ってしまった。

丁寧で高品質な仕上がりが評判となり、
ハーネス製造の注文は日に日に増えて行った。

そして結婚後可愛い一人娘を授かる。
伴侶である川端ひとみは、
電話番をしながら電気部品の作業をした。
それが好評となり娘を砂場で遊ばせながら
近所の主婦に手伝ってもらうこととなった。
それが今のハーネス製造のきっかけとなる。

そして思いが形となり、
ハーネスの高い技術が認められ、
取引先が急激に広がっていった。


平成4年〜 ハーネス製造の始まり

その後伴侶である川端ひとみは、
川端正一郎社長の強い意志を引き継ぎ
新社長となり愛娘と共に会社を支えている。
高品質のハーネスを作り続けること、
社員を家族のように大切にすること、
この信念を貫き続けたことで
社員皆が一生懸命良いハーネスを作る
素晴らしいチームワークが実現した。

そして遂に、
ハーネスの高い技術力が評判となり
熱い想いに近づいている。


現在 富士電子産業

株式会社富士電子産業
代表取締役
川端ひとみ

お取引先様実績
アンフェノールジャパン㈱・光昭㈱・㈱三誠・
シーラックス㈱・新明和工業㈱・泉州電業㈱・
大和冷機工業㈱・東栄端子㈱・東プレ㈱・
長沼商事㈱・㈱ニチフ・日本圧着端子製造㈱・
日本端子㈱・日本電化工業所㈱・
㈱日立ハイテクマニファクチャ&サービス・
宝永電機㈱・マツダ㈱・矢崎総業㈱・
㈱やまびこ・横山化成㈱ 等 (令和四年現在)